7月 生命の木 (7月16日2008年)
昔、ある童話を読んで今もその挿絵と文を覚えています。それは、この文から始まります。
" A tree is nice." 「木っていいな。」
小さな男の子が、苗木を庭に植えます。そして、その木が成長するにしたがい、日陰をその男の子に与え憩いの場を提供したり、男の子が木によじのぼったりする遊び場にしたりと、心温まる素敵な童話でした。
木にまつわる多くの本が出てきます。前述した童話のほかに、強烈な印象が何十年もたった今残っている本があります。ここ数年、映画化されているナルニア国物語です。実は、これは以前からBBCが放映していたものですが、世界にむけて放映されたのは、3年前がはじめてだったでしょう。C.S.ルイス作の名作シリーズです。
このシリーズのあらすじは別にして、このなかで「ものいう木」がでてきます。木がものを言ったり動いたりするのです。この描写が、ナルニアシリーズの1冊1冊を読み終えるたびに、自分自身の想像力も加わり、奇妙な現実味を伴っていきいきと幼い当時の私の心に生きはじめたのです。それからです、木を生命力あふれる生き物だと感じ始めたのは。

霊感とも呼べる繊細な感応力を持った人には、木の生命力の振動や光を感じることができると聞きます。私はその能力は持ち合わせていませんが、それでも、木にそっと触ると、確かに、岩石とはまったく違う何かを感じることができます。
冬山で遭難したら大きな木に身体を寄せて一晩過ごせといわれています。実際、近所でそのようにして命拾いした子供たちが何年前かにいました。それには理由があり、大木は少しですが暖かさを保っています。大木を抱きかかえた子供たちは、木から暖かさをもらったのです。
このニューイングランドには、ブナの大木がたくさん繁っています。このNEJ Connectionにも多く繁っているのですが、隣接するブナの木を伐採しなくてはいけなくなりました。理由は、実に人間の勝手なのですが、南の空を確保しなてくはいけないからなのです。
ニューイングランドのボストンといった都会では、近代技術が十分普及しています。ところが、田舎にはいると水道や下水道は望むべくもありません。井戸や自家浄化槽の世界です。ケーブルや高速インターネットは夢のまた夢。このNEJもそのような場にあり、今まで電話回線インターネットしか入手できませんでした。何度も、役所、電話会社、そしてケーブルテレビ会社に陳情し、更に地元新聞で窮状を訴えたのですが、要するに、お金がかかるので無理という回答しか返ってきませんでした。数年先には何とかなるだろうとどこも返事するのですが、その数年先が10年先、20年先かもしれないのです。
現在の高速インターネット確保方法は、衛星。高速といっても、電話回線インターネットに毛が生えただけのDSLの速さに届かない速さです。それでも、画像を取り込むことは何とかできるでしょう。数年間陳情の末の結論は、「自分で衛星受信するしかない。」。ところが、設置会社が衛星ディッシュを取り付けようとしたのですが、彼曰く、「ここは山の木が繁りすぎて、衛星電波を受信できない。受信するには、木を伐るしかない。」。
長年慣れ親しんだ木です。目の前に気高く立つ木々たち。
決断するには、しばらくの時間が必要でした。
木をとるか、それとも、不便を忍ぶか。結果として、近代技術をとることにしました。人間世界と接触している以上、現在、高速インターネットがないと学校の宿題提出もできません。
業者に頼むのは大きな木2本か3本かの伐採です。あとの中くらいの木は、自分で伐採すべくのこぎりを購入しました。のこぎりといっても、ガソリンを入れてものすごいスピードで動く電動のこぎりです。試運転しすると、かぼそい女の腕の中で喚き散らす電動のこぎりは、手に負えない代物でした。それでも、なんとか若木を数本伐ることはできましたが、伐っている最中、木殺しという罪悪感に絶えず襲われました。試運転はわずか10分ほどでしたが、それが終わると、重労働と罪悪感から疲労困憊し、当日は寝込んでしまいした。
それを息子に話すと、「冬は平気で薪を燃やしているではないか。」と矛盾点をつかれました。
確かに、その通りです。人は、かわいそうだといいながら、木をくべ暖をとります。かわいそうだといいながら、豚や鶏を殺しその肉を食します。
そういってしまうと、庭に植えているレタスや蕪をどのように食べればよいのかと考えこんでしまいます。レタスも蕪も米も、生きています。私たちは、他の生命を私たちの身体の中に取り入れて生きながらえているのです。
生命は、巡る。
そう思うしかないと思います。それが、犠牲になった生命への償いであり、いただいた生命を私たちの生命を十分生きることで返すしかないのだと思います。
いまだ、目の前の巨木は伐採されていませんが、数日後にはその生命を絶たれます。見上げるたびに涙がでてきます。心の中で合掌し許しを請う日々です。
(7月16日 2008年)