シェーカー歴史 1(美しい家具はどこからきたか)

メトロポリタンミュージアムの片隅に、シェーカーの家具が展示されています。なぜここにと不思議に思う人もいるでしょう。しばらくその家具の前にたたずむと、すっきりしたその家具には、シンプルさがかもしだす清楚で気高い気品が備えられていることに気づき、豪華な家具と十分方を並べられることに納得するはずです。
ところで、シェーカーって何?と首をかしげる人は多いでしょう。シェーカーの意味を、国語辞典でひいてみましょう。「カクテルをつくるときに必要な攪拌(かくはん)器」の意味がまず目にはいるでしょう。それでは、今度は、「攪拌(かくはん)」、英語で「Shake」にあたる言葉を今度は英和辞典でひいてみると、「揺り動かす、ゆする、ふりまわす」の意味もあることに気づくでしょう。
今からここで取り上げるシェーカーは、この「ゆさぶる」の意味に発するキリスト教集団のことなのです。
1736年2月29日、イギリスのマンチェスターでアン・リーという女性が生まれました。この女性は、労働者階級出身です。当時のマンチェスターは織物工業が盛んでした。そして幼少から働くことは労働階級では当然で、アン・リーんもその例に漏れませんでした。その普通の女性がごく普通の結婚をし、そして4人子供をもうけました。ところが、4人とも小さい頃に亡くなっています。それがきっかけだったのかもしれません。アンは、深く宗教活動にのめりこんでいきます。
アンの時代には、日曜日に教会に行き、家でも静かに聖書を読んで過ごすのが普通で、歌や踊りをおどるなどとはもってのほかでした。ところが、アンは悪を払い落とすために大きな声で歌い、そして踊ることをよしとしました。はじめに、Shakeの言葉を説明したのはこのためです。踊る、といってもイギリスの上流階級の人々が優雅に踊るのではなく、それこそShake (身体をゆさぶる、腕をふりまわす)という踊り方だったため、彼女のひきいる教団はShakerと人から呼ばれました。(正式名は、the United Society of Believers in Chirst's Second Appearing) そのような教団が、政府から目をつけられないはずがありません。日曜日に踊った、歌った、という罪で何度もアンは牢屋にはいることになります。牢屋行きを繰る返したあと、アンは他8名とアメリカに宗教の自由を求めて移住しました。1774年のことです。ニューヨークシティについたのち、ニューイングランドを拠点として各地を布教して回り信徒を増やしていきました。ところが、たびたびの迫害と無理がたたり、1784年9月8日に48歳で亡くなります。
呼び名ですが、人々からは、マザー・アン、といわれていたので、これからは、アン・リーのことをマザー・アンと呼ぶことにします。このマザー・アンの宗教観はひじょうにすっきりしています。人間の悪は欲からくるものであり、したがってそれを取り除こう、というわけです。具体的にどうしたかというと、シェーカーに賛同するならば個人の持つ財産を教団に寄付し、共同体で暮らすこと。その共同体は男女平等です。そして、同じ建物で寝起きしていても男女別の生活をしていました。規則正しく、神にすべてをささげます。余分な物をもつことはありえません。労働は大前提。自分たちの手は、労働するためにあるのです。
最低限の物質で暮らすわけですから、家具も勿論極力シンプルでなくてはいけません。そこから、シェーカー家具が生まれました。
無駄をはぶいた美しさとはこのことか、と改めて感じられるでしょう。
日本にも同じく、すっきりとした家具がたくさんあります。生活の中から生まれる必要なものだけにぎりぎり極限までおさえたもの。ちゃぶ台、長櫃(ながびつ)はどうでしょうか。質の良いものであれば長く使えます。また年季がはいれば、その月日と共に物自体も美しさを増すものです。シェーカー家具も同じです。
次回は、写真をいれてシェーカー家具を説明します。