Shaker History 6 礼拝
シェーカーというと、日本ではシェーカー家具やシンプルライフ様式が大きく取り上げられるようです。そちらの方がすんなりとはいっていけるからでしょう。
この章では、あまり馴染みのない礼拝について、ごく簡単にみていきましょう。
シェーカー・コミュニティでは、生活そのものが信仰でした。自分たちの手は労働のため、自分たちの心は神のみもとに。敬虔な気持ちで毎日の労働についたのでしょう。普段物静かなシェーカーでしたが、日曜日だけは高らかに歌をうたい踊り、罪を落とし清めたのです。
「外の世界」から礼拝を見学にくる人たちがたくさんいました。その人たちの一部の言葉を借りると、彼らの目にはシェーカーの礼拝、踊りや歌は「グロテスク」なものと映ったこともあったようです。しかしながら、現在その踊りを再現したものをみると、実際そうだったのかは疑問です。
ケンタッキー州のプレザントヒル・コミュニティーでは、昔の礼拝に伴う歌を聞くことができます。
居住建物から美しいハーモニーが流れてきます。そして、信者(に扮した人たち)がその建物から現れて、隣のミーティングハウスに歌いながら入っていきます。勿論、昔も右のドアは女性が、左のドアは男性が使いました。彼らの歌声を聞くと、昔のシェーカーたちがしのばれます。
当時の踊りを描いたリトグラフや、踊りの配置を示した図が今でも残っています。それらを見ると、普通の社交ダンスやフォークダンスとはまったく異なることが一目瞭然です。いろいろな礼拝の踊りがあるのですが、おおよそ集団で列をなして踊っています。両手を前に差し出し、それを上下に振っています。多くの信者が一度に踊ったわけですから、その礼拝は大音響をかもしだしたに違いありません。また、窓を開けていたのでしょうが二酸化炭素が充満し、呼吸困難に陥り失神する人も続出したそうです。当時はそのような知識は一般に普及していませんでしたから、踊りを踊っている最中に気絶するのは神秘的なことだと受け止められていた面もあったようです。
このミーティングハウス礼拝以外に、時折、戸外礼拝もありました。シェーカーのすべてのコミュニティーでは、敷地内に「聖なる丘、Holy Hill」がしつらえてあります。各コミュニティでその「聖なる丘」の呼称が異なるのは興味深いことです。例を挙げましょう。シェーカー本部があるニューヨーク州ニューレバノンでは「Holy Mount」、ニューハンプシャー州エンフィールドでは「Chosen Vale」、マサチューセッツ州ハーバードでは「Lovely Vineyard」、ケンタッキー州プレザントヒルは「Holy Sinai's Plain」。これらの聖なる丘は大抵その名が示すように小高い丘に位置し、聖地の中心には聖なる石が設置されています。そして、そのまわりは柵で囲まれています。シェーカーたちはその聖なる丘まで徒歩かカート(馬か牛にひかせたのでしょう。)で列をなして行きます。そして、その聖なる丘で歌い踊り、礼拝をしたのです。
実際にそのような地に行ってみると、たいへんすがすがしい気分の場所に聖なる丘がしつらえてあるので、そこでの礼拝はすばらしい効果をもたらしたとわかります。
ニューハンプシャー州エンフィールドの聖なる丘は、少し息切れがするほどの高さと距離にあります。しかし、いったんそこまで登りつめると、眼下にみるその光景と澄み切った空気には深く感動するものがあります。一般人でさえ心が高鳴る場所ですから、信者にとってその地で礼拝することは特別な意味があったことでしょう。また、今では許可を受けたうえで見学できるマサチューセッツ州シャーリーコミュニティーも同様です。この地は、昔は非常にすばらしかった地だと思われます。なだらかで広大な丘自体が農場でした。近くからせせらぎの音が聞こえます。また、聖なる地も、そこから少し離れた他の丘陵をみわたせる場所に位置しています。マザー・アンがしばしば訪れた地でもあります。ただ残念なことに、現在では高圧線をめぐらせた刑務所となっており、聖なる丘の真中には、聖なる石ではなく巨大な貯水タンクが置かれています。しかも、警官同行監視下での見学はいささか風情がありません。これも時代の変遷のなせるわざでしょう。

(上の写真は、エンフィールドの聖なる丘に行く途中シェーカーコミュニティーを眺めたもの。)
次回は、時代の変遷によるシェーカーの変化、存続の是非について。
(3月13日 2008年)